図書館で何気なく借りた本に思いもよらず気持ちを持って行かれた。
手に取ったのは知人がこのタイトルの禅語(後で知った)をHPでよく使っていたからだ。言葉の意味はよく知らないが、何か前向きな言葉なのだろうなぐらいに思っていた。
そしてお茶は敷居の高い上流の嗜みと思っていたが、どうやらお茶を通じて自然や季節を感じ素の自分と対峙する時間、ちょっと座禅に似たような部分もあるようだ。さらにその人それぞれの感性を許容する懐の深さも持ち合わせている。
自然の中の何気ない出来事や営みに気づく(感じる)という意味では、レイチェル・カーソンのセンスオブワンダーとも通ずる部分もあるかもしれない。当たり前だった日常や風景の中で新たな事象に気づくきっかけを与えてくれる時間。
また、調べてみると「好日」とは単純に良い日ではなく「かけがえのない」という意味の方がしっくりくるようだ、どんな1日だとしてもそれは自分に与えられた「かけがえのない日」という意味合いの方が、この言葉を残した僧侶の気持ちに沿っているようだ。
今日からの日々を「好日」であると心に置いて生きていきたいと思った。
良い本に出会って、良い言葉を少し知ることができた忘備録として。
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